下川町物語|雑草魂と、挑戦を後押しする風土
町にみなぎる雑草魂
下川町は、北海道北部を流れる天塩川の支流・名寄川の上流部にあります。人口は約3,000人。内陸性の気候で、夏は暑い時だと30度、冬はマイナス30度になることもあり、日本一寒い年もあります。林業は植林から伐採までを60年1サイクルで一周する循環型森林経営が特徴で、国から「環境未来都市」に選定されました。木質バイオマス燃料を使った熱供給が、主に町の公共施設に行われています。
私たちがここに惹かれて集まったのには、下川町の山あり谷ありの歴史が関係していると思います。日本の人口はどこも減っていて、それは下川だって例外じゃない。道内での人口減少率が一位になったこともあるくらいです。それに、下川がピンチに直面したのは、これが初めてではありません。
背水の陣を何度も乗り越えてきた116年間
今から116年前、岐阜県から入植した人々が、何もなかった大地を開墾したところから下川の歴史は始まります。鉱山を切り開き、農業や林業も始めました。一時は15,000人も暮らし、映画館や劇場も町の中にあったほど。下川町が一番華やかだった頃です。
けれど、戦争が終わってしばらく経った1954年、歴史的な台風でせっかく育てた木々が倒れて売れなくなり、借金だけが残ってしまいました。さらに、街中へのライフラインだったJR名寄本線が1989年に廃線に。そのあとには、隣の名寄市との合併が検討されたこともありました。
踏んだり蹴ったりでしたが、それでも当時の人たちは負けませんでした。開拓者気質の粘り強さでなんとか乗り越えてきたから、今の下川町があります。台風でダメージを受け、森がなくなってしまった山に「今度こそ」と希望を託して木を植えた。鉱山が休山する年には、もともと地元の人たちが楽しんでいたアイスキャンドルを「アイスキャンドルミュージアム」というお祭りに育て、たくさんの人が町外からやって来ました。
好奇心や挑戦を後押しする風土が、この町にはある
大変なことが起きても、身の回りのモノやコトからヒントを得る。もしくは、自分が楽しいと思うこと、好きだと思うことを発展させる。さらに、下川に住んでいる人たちも、その取り組みを応援する。そういう応援の精神が、巡りめぐって町を生き返らせてきました。
問題や課題は、挙げればきりがありません。でも、マイナス要素を数えるより、自分の得意技や好奇心を土台に町を見つめてみると、あら不思議、できることは山ほど見えてくるものです。しかも、そのヒントや糸口は、どこに転がっているか分かりません。だったら、荒波を乗り越え、新しい風が吹き込み始めた下川で、新しいことをやってみよう。今を生きる私たちは、そう思っています。